“正徳三年五月(徳川七代将軍家継の治世)、江戸小石川に住む田付氏の妻、常に地蔵尊を信仰していたが、一人の男児を出産後思い病気に見舞われて床に臥した。諸々の医者が手をつくしたが、病気は悪化の一途。彼女は生家に宿る怨霊によって女はみな二十五才までしか生きられないという父母の話を夫に伝えた。
田付氏は悲しみの中に、この上は妻が日頃信仰する地蔵尊におすがりする他はないと毎日一心に祈願を続けた。
ある日のこと田付氏の夢枕に一人の層が立ち『自分の形を一寸三分に彫って河水に浮かべよ』という。田付氏が『急には彫り難い』と答えると『お前に印像をあたえよう』といわれ、夢がさめた。不思議な夢と枕元をみると、水のふしのようなものが置いてあり、平らな部分に地像菩薩のお姿があった。
田付氏は夢にあった通りと不思議に思いつつも、地蔵尊の宝号を唱えながら形を印肉にしめして一万体の「御影」をつくり、両国橋から隅田川に浮かべ、一心に祈った。
その日の夜午前二時頃、田付氏は妻の呼ぶ声にいってみると『今夢うつつの中に袈裟をつけた男があらわれ、長い棒と籠のようなものを持って枕上に立ちました。すると一人の僧が出て来て蚊帳の外に引き出し、次の間で錫杖で背中をついて連れ出してしまいました』といった。
このことがあって以来田付夫人の病気は次第に快方に向かい、十一月中旬には床をはなれ、以後無病になった。
田付氏がこの霊験を山高氏の家で話していると、一座の中に西順という僧がいて、その御影をほしいといわれ、二枚をあたえた。西順は毛利家に出入りしていたが、ある時間家の女中が口にくわえていた針を飲みこんで大いに苦しんだ。西順が待っていた地蔵尊の御影一枚を飲ませると、腹中のものを吐き、御影を洗ってみると、飲みこんだ針がささって出て来た。”
私の生まれ育った巣鴨にあるとげぬき地蔵尊に伝わるお話です。
久しぶりに地元の巣鴨とげぬき地蔵尊のある地蔵通りを歩きました。
人間いつでも行けるという状況にあるとなかなか行かないものです。
かなり久しぶりだったので懐かしい気持ちと、商店街の変化に寂しさを感じました。
地蔵通りでは4の付く日は 縁日と呼ばれるお祭りがあり、通りはお年寄りに埋め尽くされ、かなりのにぎわいを見せるのですが、平日の今日はかなり歩きやすく、心地のよい散歩になりました。
さて人生の半分以上はとげぬき地蔵尊近くに住んでいる私ですが、実は上記のお話を詳しく知ったのは今日が初めて。
何となくで“とげぬき地蔵”を理解していたつもりになっていた私は、今日のとげぬき地蔵尊訪問でこの話を知り、恥ずかしくなりました。
勉強不足と言うべきか・・・。
とにかく今日は生まれ故郷を知る良い機会になりました。
これからも地元を愛し続けていきたいと思います。
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