昨日、小学校の同級生と久しぶりに再会し一杯やってきた。
久しぶりと言っても半年ぶりぐらいであるが、やはりたまに会って昔話をするのは楽しい。
昔のはなしからたまたま美術の授業のはなしになり、
友人が美術のハンコをつくる時間で、私が自分のハンコにこだわりすぎて時間内に終わっていなかったと言ってきた。
私は驚いた。
そのハンコを未だに大事に取っていたからである。
今の今までデスクトップパソコンの脇に飾ってある。
それほどお気に入りの作品だった。
私が一番、驚いたのは友人がそれを覚えていたことである。
その時間通り終わらなかったというエピソードは私はとっくの忘れていた。
そして20年以上前のそのたわいもないことを覚えていた友人の記憶力は素晴らしい。
記憶とはどこに保管されていて引き出されるのかわからないものだ。
今回はそのハンコを掲載したいとおもう。
小さな制作所ブログ
映像作家/山内陽一の小さな制作所ブログ。
2015年6月25日木曜日
2015年6月23日火曜日
沖縄慰霊の日
1945年6月23日
沖縄にとって、戦争が終わった日である。
この美しい大地で激戦が繰り広げられたのは大昔の話ではない。
70年前沖縄で20万人もの人が亡くなったのだ。
これは人類にとって忘れてはいけない記憶にしなければならない。
こうゆう過ちを二度と繰り返してはいけないのだ。
しかし〝人間は簡単に忘れる〟のである。
これは人類をバカにしているわけではない。
世の中の多くの情報の中で生きている人間は簡単に忘れてしまうものなのだ。
だから慰霊の日という特別な日として手を合わせるのだ。
私はメディア人としてこの特別な日を後世に残さなければならないと思っている。
しかし我々の時代の人は戦争を知らないのだ。
世界では毎日どこかで戦争が行われている状況であるにも関わらず、我々にはイメージがつかない。
ニュースでせいぜい1分流れる程度では無理もない。
その中でも戦争体験の話は貴重である。
私の祖母は沖縄出身で戦争を体験した。
しかし戦争の話をしたがらなかった。
きっと苦い記憶があるのだ。
戦争を体験した人の中にも話したがらない人は少なくない。
だからより戦争体験の話は貴重なのだ。
話すとは勇気のあることなのだ。
そして話す人は使命感をもって話している。
だから我々はなによりも耳を傾けるという姿勢が必要であると思う。
2015年6月22日月曜日
豊島区新庁舎にミュージアム?
先日、池袋に行く機会があり街を歩いていると
「ART OLYMPIA2015」
の垂れ幕が、
池袋に美術館なんかあったかな?と、疑問に思い開催先を見てみると、豊島区の新庁舎で開催されているという。
このニュージアムのアイディアは新庁舎の場所を把握してもらう為や池袋に来た人たちにアートの街というイメージを与える為など様々な考えからきたのだろう。
早速新庁舎に行くと、とても立派な塔になっていてびっくりした。
以前の豊島区役所というと横に広く学校の校舎ようなイメージがあったが、新しくできた新庁舎では10階までが新庁舎でその上はマンションだという。
TOKYO MXテレビがニュースにしていた。
(TOKYO MXテレビより)
日本初のマンション一体型区役所。
マンションの収入で庁舎の建設費に当てるというアイディアのようだ。
さて中のミュージアムはというと、
一部屋を貸し切って、多くの絵画が展示されていた。
学生から一般まで世界50ヵ国から応募された世界の美術関係者?が選んだ240の作品。
内容は世界50ヵ国ともあって、多彩な作品ばかりでまさに絵画のジャングルである。
入場無料なので、ご覧いただきたい。
しかし今週末までである。
20156月13日(土)〜6月28日(日)9:30〜17:00
アートオリンピア
http://artolympia.jp/exhibition.html
2015年6月19日金曜日
TSUTAYAにタルコフスキー!!
板橋駅前TSUTAYAに行ったらタルコフスキーのDVDが並んでいた。
私はタルコフスキーの大ファンで全てを視聴したが、かつてはタルコフスキー映画作品を普通のレンタルビデオショップで借りようとしても置いていなかった。
方法は映画祭などの特別上映でみるか、あるいは渋谷TSUTAYAまで行ってビデオテープを借りるかだった。
しかし
タルコフスキー映画を上映する事は少なく、
レンタルショップでは昔のビデオテープ再生機を使わなければならなかった。
しかもレンタルショップでは数が少なく貸し出し中が続いてる事が多い。
非常に大変な思いをして全てを視聴したのを覚えている(DVDを購入すれば早いはなしだったかもしれない)。
そのタルコフスキー映画が家近くのビデオショップTSUTAYAでいつでも借りれるようになったのだ(もしかして期間限定かもしれないが)。
タルコフスキーといえば世界ではじめて哲学を映像にした人物だと言われている。
それだけに難解な作品も多い。
個別でいうと「惑星ソラリス」、「ストーカー」
この作品はSF映画である。
いずれも難解な作品であり、現実ではありえないシニュエーションが物語になっている。
タルコフスキー映画の物語は深層心理を描くものが多い。
そして「 鏡」、「ノスタルジア」
これは作者の自伝的要素がふくまれた映画だと言われている。
タルコフスキーという人物を浮きだたせる作品といえるだろう。
「僕の村は戦場だった」「アンドレイ・ルブリョフ」
はタルコフスキー作品でも非常に見やすい映画だと思う。
非常に見やすい映画とは一人の人物の物語で構成されているからである。
しかしストーリーは非常に感慨深い。
そして
私が非常に心を打たれたのは「サクリファイス」である。
この映画はカンヌ映画祭でも4賞を受賞している。
そしてこの作品がタルコフスキーの遺作となる。
内容はみてほしいのだが、核に対する人間の恐怖と暴力を描いている。
このようにタルコフスキー映画を見てみたが、
全体としてタルコフスキー映画の映像美は素晴らしい。
哲学を映像にしたとはこのことから言われているのかもしれない。
映画は言葉で語るものでなく、映像で語るものであるように思う。
耳の情報からそれにあった絵を出すのではなく、
絵の情報からそれにあった言葉がでるのである。
TSUTAYAのおかげで
これから眠れない夜が続くかもしれない。
2015年6月10日水曜日
ワンマンカメランの音収録
ワンマンカメラマンでの音収録について考えてみた。
ビデオカメラマンにとって、映像を綺麗に取る事は当たり前であり得意分野である。
しかし音声を綺麗にとれといわれるとなかなか難しい。
なぜならそれは音声マンの仕事とすることが多いからである。
音声マンは音声ミキサーを腰に掲げ、音声だけをしっかりとる為の音声収録のスペシャリストである。
ブーンマイクでマイクをしゃべり手の上に配置しミキサーで調節した音をカメラに送る人だ。
テレビ等のロケで見た事がある人も多いだろう。
さてテレビロケのような予算の立つ仕事であれば、音声マンを呼びなんの問題もないのだが、ワンマンカメラマンとなると、話は変わってくる。
カメラとマイクの両方に気を使わなければならい。
一人でカメラマイクとワイヤレスマイクでなんとか音を拾うのである。
カメラマイクは指向性ガンマイクなどを使いより周囲の音を少なくし、ワイヤレスマイクはピンマイクを話し手に取り付けるか、もしくは手持ちで近づけて声を拾うだ。
いずれも周囲の雑音を少なくし、よりクリアに話し手の声を収める為の手段。
しかしワンマンだと、いずれも急な撮影には対処できない。
仕事によっては急なインタビューを迫られることは多々ある。
私はウェディングの撮影をすることが多いだが、現場では急なインタビューはしょっちゅう訪る。
そこで私なりに考えてワンマン用 マイクを作ってみた。
ピンマイクを教師がよくつかうポインターに取り付けてツインシューマウントに設置。
チャンネル2をINPUT2に切り替えてピンマイクをすぐ使えようにする。
ピンマイクを斜めに上にむけて、カメラ画面にマイクが入らないよう調整。
約一メートルほどの音とり棒の完成。
これで急な取材などに対応できる。
実際、ウェディング現場では最適な音どりができた。
今流行っている、自撮り棒のような形で、音撮り棒とでも名付けよう。
ビデオカメラマンにとって、映像を綺麗に取る事は当たり前であり得意分野である。
しかし音声を綺麗にとれといわれるとなかなか難しい。
なぜならそれは音声マンの仕事とすることが多いからである。
音声マンは音声ミキサーを腰に掲げ、音声だけをしっかりとる為の音声収録のスペシャリストである。
ブーンマイクでマイクをしゃべり手の上に配置しミキサーで調節した音をカメラに送る人だ。
テレビ等のロケで見た事がある人も多いだろう。
さてテレビロケのような予算の立つ仕事であれば、音声マンを呼びなんの問題もないのだが、ワンマンカメラマンとなると、話は変わってくる。
カメラとマイクの両方に気を使わなければならい。
一人でカメラマイクとワイヤレスマイクでなんとか音を拾うのである。
カメラマイクは指向性ガンマイクなどを使いより周囲の音を少なくし、ワイヤレスマイクはピンマイクを話し手に取り付けるか、もしくは手持ちで近づけて声を拾うだ。
いずれも周囲の雑音を少なくし、よりクリアに話し手の声を収める為の手段。
しかしワンマンだと、いずれも急な撮影には対処できない。
仕事によっては急なインタビューを迫られることは多々ある。
私はウェディングの撮影をすることが多いだが、現場では急なインタビューはしょっちゅう訪る。
そこで私なりに考えてワンマン用 マイクを作ってみた。
ピンマイクを教師がよくつかうポインターに取り付けてツインシューマウントに設置。
カメラ頭部にライトと共に設置。
ピンマイクとカメラINPUT2の中継にPCMレコーダーをかまして押さえをとる。
ステレオミニ-キャノンオスケーブルでカメラ本体INPUT2に。チャンネル2をINPUT2に切り替えてピンマイクをすぐ使えようにする。
ピンマイクを斜めに上にむけて、カメラ画面にマイクが入らないよう調整。
約一メートルほどの音とり棒の完成。
これで急な取材などに対応できる。
実際、ウェディング現場では最適な音どりができた。
今流行っている、自撮り棒のような形で、音撮り棒とでも名付けよう。
2015年6月5日金曜日
第二子の誕生
先日、私の二人目の子供が誕生しました。
そして急いで嫁の実家へ。
子供はおとなし目ですが、健康で生まれてくれました。
嫁は二人目の出産ともあり、安産で産むことができ体調もまずまずです。
母子共に無事でなによりです。
しかし問題は一人目の子どもです。
早速『赤ちゃん返り』がはじまりました。
赤ちゃん同様ミルクをせがみ、ママの争奪戦です。
出産のため4日間ママが夜いない状況と、帰ってきたらママが自分のものでなくなっていたことで、かなり動揺しているようです。
これからもっと大変になっていくと思われますが、
何はともあれめでたいということです。
これで心配事も減り(増えたかもしれない?)仕事もこれ以上集中したいと思います。
映像とは関係ない日記でございました。
2015年5月29日金曜日
「巣鴨」という下町
久しぶりに我が故郷である東京、巣鴨に行ってきた。
東京都巣鴨は、おばあちゃんの原宿として東京では知る人ぞ知る下町。
JR巣鴨駅から徒歩5分ぐらい歩くととげぬき地蔵で有名な高岩寺があり、その道中となるのがとげぬき地蔵商店街である。
この商店街は毎月4のつく日に《縁日》として賑わい、高岩寺周辺には出店等が出て自転車で通れないほどの人混みになる。
まさに下町巣鴨の中心地だ。
私はこの、とげぬき地蔵商店街で育った。
そしてこの商店街を2年ぶりに歩く。
この日は縁日ほどの賑わいななかったものの、やはり年配が集まるが場所としての賑わいがあった。
思えば、幼少期から地蔵通り商店街は大きく変化した。
かつて毎日繰り広げられていた、閉店セールはなくなり、小洒落た店に変化していた。
17号沿いの入り口付近では観光客のためのお土産屋さんのような店が目に付いた。
休憩所やカフェのようなお店も増え、観光地としてさらに進化したように見えた。
しかしその中でも昔から続いている店もあり、私の懐かしい巣鴨は健在していた。
塩大福のみずの、赤パンツのマルジ、うなぎ屋におもちゃ屋のますや。
私の幼少期お世話になった、名店がまだ残っているのだ。
浅草のような外国人のあつまる観光地ではないが、巣鴨はやはり日本の年配者のあつまる日本の名下町である。
今回は私の懐かしい巣鴨を映像にしてみた。
短い映像なので、是非ご覧いただきたい。
東京都巣鴨は、おばあちゃんの原宿として東京では知る人ぞ知る下町。
JR巣鴨駅から徒歩5分ぐらい歩くととげぬき地蔵で有名な高岩寺があり、その道中となるのがとげぬき地蔵商店街である。
この商店街は毎月4のつく日に《縁日》として賑わい、高岩寺周辺には出店等が出て自転車で通れないほどの人混みになる。
まさに下町巣鴨の中心地だ。
私はこの、とげぬき地蔵商店街で育った。
そしてこの商店街を2年ぶりに歩く。
この日は縁日ほどの賑わいななかったものの、やはり年配が集まるが場所としての賑わいがあった。
思えば、幼少期から地蔵通り商店街は大きく変化した。
かつて毎日繰り広げられていた、閉店セールはなくなり、小洒落た店に変化していた。
17号沿いの入り口付近では観光客のためのお土産屋さんのような店が目に付いた。
休憩所やカフェのようなお店も増え、観光地としてさらに進化したように見えた。
しかしその中でも昔から続いている店もあり、私の懐かしい巣鴨は健在していた。
塩大福のみずの、赤パンツのマルジ、うなぎ屋におもちゃ屋のますや。
私の幼少期お世話になった、名店がまだ残っているのだ。
浅草のような外国人のあつまる観光地ではないが、巣鴨はやはり日本の年配者のあつまる日本の名下町である。
今回は私の懐かしい巣鴨を映像にしてみた。
短い映像なので、是非ご覧いただきたい。
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